徒然なるままに~

オジサンSEの雑記ブログ

確定申告完了しました。

やっと終わりました。今年も確定申告滑り込みセーフです。
3月15日PM10:00過ぎ。今年ムズすぎです。
昨年まで使っていた会計ソフトでは消費税申告書が作成できないということで、今年から会計ソフトを変えたんですがそれもあって、もう大変でした。
結局、終盤は税理士勉強中の息子に助けてもらって無事申告。泣きそう~~

何はともあれ、今年も申告出来ました。息子に感謝!!

やってしまった

40代の頃でしょうか、派遣作業中に隣の席で作業していた方が体調を崩されて休みがちになっていました。
隣の席ということもあり、昼食時一緒に出掛けたり、ちらほら世間話もしていたので少し大丈夫かなと思っていたんです。
実は僕も何故か現場の雰囲気になじめずに具体的には説明しにくいのですが、変なプレッシャーを感じるというか凄く作業がしにくい何かを感じていました。こんな事は非常に珍しいのでどうしたものかと思いながら毎日の作業を進めていました。

ある時、夜8時ごろにトイレに席を立ちました。作業部屋から出て同じフロア内の廊下を数十メートル進んだところにあるトイレにて用を足し、作業部屋に戻る途中の廊下の床がぐにゃぐにゃにゆがんだように感じて真っ直ぐ歩けなくなってしまいました。
何とか作業部屋に向かって自席についたのですが、肘をついたまま動けなくなってしまったんです。
意識が飛んだというか金縛りにあったというかとにかく自分の身体が固まってしまって動けない状態でした。
しばらくして周りの景色が見えだして上半身が動かせるようになり、時計を見ると10分ほど動けなかったみたいです。
まずいなと思い、派遣会社の社長に電話を入れることにしました(この時お世話になっていた派遣会社の社長は家族ぐるみで仲良くしてもらっていた友達でいつも親身になって相談に乗ってくれていました。この女性のおかげで僕は命拾いをします。)。

僕は電話口で「疲れが溜まったんかな。ちょっと気を失ってたみたい。連絡だけ入れといた方がいいと思って」と言ったとたん、「どうしたん。あんた何があったの?今から迎えに行くからそのまま待ってて!」と非常に慌てた感じで電話を終えて数十分後に派遣会社の相談役と2人で迎えに来てくれました。
この相談役の方も常に仲良くして下さり当時お世話になっていた方でした。社長からの指示のまま現場長の方に体調がすぐれないので今日はこれで退社する旨を伝え、ビルの入り口付近に向かったのだと思います。ここの部分、はっきり覚えていないんです。現場長の方もどこかしら僕の顔を見て「どうしたんですか?大丈夫ですか?」って言っておられましたが、どうしてかはその時は分かりませんでした。

派遣会社の社長は大慌てで僕のそばに駆け寄り、「何があったの?さっきの電話言葉になって無かったよ!何を話しているかも聞き取られへんかったよ!」と言われ、相談役と社長に抱えられるように社長の車に乗せて頂きました。
僕自身はちょっと疲れちゃったかなぐらいだったんですが、社長を相談役には失語症を心配されるほどだったみたいです。
帰りの車内で社長から見た今の僕の状態がどれほどいつもの僕と違うかを伝えられ、愕然としてまだ死ぬわけにはいかないと涙が止まらなかったのを覚えています。
とりあえず今日、明日は休んで週末に病院に行って診断書を貰ってくるように言われ、派遣作業は即打ち切りとのことでした。家に送り届けて貰う頃には言葉も大分伝わるようになり、社長と相談役にはとにかく一安心だけどしばらく安静にしてと言われその日は自宅の前にてお別れしました。

帰宅時には大分落ち着いてきたというかずいぶん体調が楽になっていたのですが、出迎えてくれた嫁は社長から連絡を貰っていたみたいでかなり心配していたと思います。いつもと違う感じとだけ僕に伝え、僕に抱き着いてきたのを覚えています。

週末になり朝から体調も良くなったように思い、一応診断書だけ貰ってくると嫁に伝えて病院に行こうとすると嫁が一緒に行くと僕から車のキーを取り上げました。仕事人間の嫁が仕事を休んで病院に着いてくるなんてよほど見た目に心配なんかなと思いました。
近所の病院に着き、診察を受けて診断書を出してもらいました。
身体も自由に動くし気分もかなり良かったので体調も戻っているものと思っていたのですが、「今の血圧とご主人のお話から気を失ったときは恐らく血圧が200を超えていたと思います。あと1時間現場で作業していたら危なかったでしょうね。」と言われぞっとしました。凄く気分がよく体調が回復したと思っていた僕の血圧は180を超えていたのです。
糖尿病のことも伺い、この時初めて不摂生の怖さを実感しました。

生活費の心配もあったのですが、しばらく安静にさせて頂くことにしました。
泣きそうな顔で僕に話しかける嫁をみて悪いことしたなとつくづく反省しました。でも、独立してから長い間、収入面で不安定な日々が続き、そのことが僕の1番のストレスになっていることも分かっていたので、安静にしながらも常に生活費どうしようと不安でたまりませんでした。
派遣会社の社長に診断書を提出に伺い、半ば泣きそうな顔をして僕に話しかける彼女に素晴らしい友達でいてくれることを感謝しながら迷惑をかけてしまったことをお詫びして帰宅しました。

やばい。

30代後半か40代前半くらいかなぁ、サラリーマンを辞めて個人事業主として自宅で仕事をしたり、仕事が無いときは派遣に出たりしていました。

日中に体力が持たずに眠気に襲われたり、フラフラになって真っ直ぐ歩けなくなったりすることが続いて、ドラッグストアに毎日向かうようになります。まずは、オールPに始まりそれまで飲んだこともないエナジードリンクをがぶ飲みして現場に戻り何にも無かったような顔して仕事を続けるんです。あれはきつかった。
派遣に出ているときは周りの目を気にして、受託作業を自宅でやっているときは納期を気にして徹夜作業をして、なかなかな地獄でした。ひたすら今月の収入を気にして、倒れている場合じゃないと自分を奮い立たせていました。バカでしょ。

このオールP(強烈な眠気覚ましです)やエナジードリンクって、結構な高カロリーらしくってどんどん体重はふえるわ、飲まなきゃ倒れそうだわで給料の半分ぐらいドリンク剤で消費してました。
収入面での不安や体力面での不安がかなりのストレスとなって僕の身体を痛めつけていきました。
限界ギリギリって感じです。

これからしばらくして、現場でのストレスがプラスされて派遣作業中に倒れることになります。
まだこの時に糖尿病に関する知識も認識もなく自分が糖尿病になってしまっているなんて想像もしませんでした。

若いころの無理はし過ぎるもんじゃないです

専門学校を卒業してこれまで30数年の間、SE(システムエンジニア)をやってきました。
コンピューターを扱う仕事って結構な体力仕事で入社初年に勤務時間が360時間を超える月もあって先輩には午前中に点滴をしてくるので遅れますという方もいて、大変な業界に入ってしまったと思ったものです。
数年して僕も例に漏れず体力的に無理な状況を強いられることになり、業界へ就職1年目にして胃腸炎になり病院に通院する羽目になりました。主食はうどんかプリンなど。飲み物はスポーツドリンク、お茶は禁止の生活が数週間続きました。

無事、胃腸炎も治ってそのままこの業界で眠気や集中力と戦い続けてドラッグストアの常連となります。若かったのもあって、とりあえず作業することしか考えず、かなりのドリンク剤を毎日飲み続けてドラッグストアのおばさんに叱られるほどお店に通いました。
もっと自分の身体のことを考える気持ちの余裕があったならと今はひたすら後悔しています。
今のように転職が一般的で無かったこともあって、自分がどうすればいいのか分からずこの業界にてどんどん高カロリーのドリンクを採り続けました。

気が付けば、68㎏の体重が80㎏に迫っていました。30代後半にはMax117㎏まで太ってしまいました。
22歳の時に付き合いだした元嫁が19歳のころの僕の写真を見て「これ誰?」って感じで驚いていました。
知人が心配して訪ねてきたときに無意識に涙を流しながらパソコンに向かっていたのがこの頃じゃなかったかなぁ。
ひたすら仕事をこなそうとしていていた僕のことを真剣に叱ってくれた知人に感謝しています。
今でもアニキのような存在です。

50歳過ぎたら、やっぱりいろいろガタもくるよ。

いくつのころかなぁ、気が付いたら糖尿病になってました。

なんか仕事中にめちゃめちゃ疲れるなぁ、とか気が付いたら落ちてた(気を失う)ことが徐々に起こり始めて、
体力的に9:00~18:00の勤務に限界を感じ始めたのが30代後半ぐらいかな。
それでもドリンク剤とか飲みながらこれまで何とかやってきたんだけど、年齢には勝てないねぇ。

その後、身体に不調が出始めて病院に行ったところ、糖尿病っていう診断を受けました。

細かいことはおいおい上げさせて頂きますが、体験談として糖尿病の方に何らかの情報が提供できればと思います。

オジサンSE、ブログはじめました。

昔若いころに少しブログをかじっていたのですが、50歳を過ぎてボケ防止にブログを再開しました。
よろしくお願いします。